今日をどう一生懸命生きたい?
朝目が覚めたら、「今日をどんな一日にしようか」と考え、計画を組み立てて実行し、夜眠るときに「大変だったけど、楽しかった」と声に出して言える、そんな一日一日を積み重ねて生きたいです
ヒマワリ

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[読書備忘録]2006/04/09~「私の話」
「私の話」鷺沢萠
(河出文庫、2005年10月20日初版発行)

単行本は2002年に出版されています。



去年もこの時期に鷺沢さんの本を読みましたし、おととしもこの時期に鷺沢さんの本を読みました。
たぶん、来年以降も、たとえ本を読まないまでも、この時期になると鷺沢さんのことを思い出すんだろうなあ、と感じています。
僕は鷺沢さんの熱心な読者ではないし、それどころか、これまで読んだ本について書いたレヴューのほとんどで、鷺沢さんの作品を評価していません。

それでもなお、来年以降も、4月11日という日を忘れない気がします。

去年のこの時期に数冊読んで以来、鷺沢さんの作品や人となりに対するイメージは変わっていませんが、ここでそれについて繰り返すのはやめます。
そのとき以降、鷺沢さんの小説は読んでおらず、久しぶりに手に取りました。

この本は自伝的小説というか私小説というか、です。
エッセーにも近いですが、やはりエッセーと呼ぶには内容的にも形式的にも重過ぎますね。
「ケナリも花、サクラも花」と、トーンは似ています。だから、「ケナリも花~」もエッセーでないと捉えるべきでしょうね。

3編の短編が収められています。1992年、1997年、2002年と、みっつの時期の鷺沢さん自身について書かれた作品ですが、必ずしも連作としてまとめることを最初から意識して書かれたようには読めませんでした。
発表の時期は「私の話1992」が1998年春、「私の話1997」が2000年春、「私の話2002」が2002年秋と足掛け4年半ですが、本人の表現によると「足掛け七年で書き上げた自伝的作品」だそうです。
加えて、「文筆業を始めて十五年の記念作品」ともおっしゃっています。

とてもおもしろかった。

僕は、鷺沢さんのいわゆる「恋愛小説」についてとても「窮屈」という印象を持っていましたし、少年を主人公にした小説はそれなりに読めたもののやはり「女性が見た少年像」に対する違和感を拭えなかったのですが、「私の話」は、等身大で生の鷺沢さんを「感じさせる」小説でした。
「ケナリも花~」がおもしろかったように、鷺沢さんの作品は僕個人としては、「鷺沢萠」その人を感じさせる作品のほうが圧倒的におもしろい。
それは図らずも、「作家・鷺沢萠」に対する皮肉に聞こえかねないのですが、「私の話」の成立が僕の言い分を皮肉に聞こえなくした、という評価は不遜でしょうか。

じっさいのところ、鷺沢さんが「私」について語っているこの作品の中に、解説の酒井順子さんが指摘しているように、「異性関係」のエピソードなり、現在・過去の恋愛体験なり、鷺沢さんのものであれほかの人のものであれ何らかの「恋愛観」なり、がほとんど書かれていません。
何事にも情熱を持って、徹底的に立ち向かっていった鷺沢さんのことです、二十代から三十代に至るこの時期に恋のひとつやふたつ、していなかったはずはありませんが、そのあったであろう恋愛の感情の揺れ動きについて、まったく書いていないのです。
(「私の話1992」で離婚について少し触れられていますがそれだけです。)
代わりに語られているのは、徹頭徹尾「一個人・鷺沢萠」であり、自分についての理想と現実、自分の醜さ、心の中に沈澱していく感情の「澱(おり)」、間違いつづける一人の人間の、その間違いの歴史の丁寧な洗い出し、などが驚くほど潔く投げ出されています。

僕にはそれがある種「作家の業」のように見えました。
鷺沢さん自身が、ここで僕が言おうとしているのと別の意味合いで使っている「露悪趣味」という言葉--それが図らずも、この小説を成立させている鷺沢さんの(というか「作家」というものの)ある種の傾向を指し示しているのではないか…という見方もまた、不遜かもしれません。
それでもなお、鷺沢さんがこれらの文章を「書いてしまった」ことは、鷺沢さんの、というより「作家」の露悪趣味であり、さらにそれを超えて「作家の業」--すなわち、「作家」というものは自分も自分の周りの人もごっちゃにして、「人間」とはこんなものなのだと白日のもとにさらしたい欲望の持ち主だと端的に示したように見えました。

そこで語られていることが真実か否か--見極めるのは大変難しいです。
それを承知で、僕は鷺沢さんの言葉を信じていい気持ちになりました。
鷺沢さんがこの小説で語っていることは、とりもなおさず「作家・鷺沢萠」を決して「擁護」するものではないにもかかわらず、それを語ることによって鷺沢さん自身を前進させるであろう、もしくはそれを語ることによってしか鷺沢さん自身を前進させないであろうことがはっきり見えるからです。

かように、鷺沢さんの本について語るときいつも、もって回ったというか、すんなりとしない物言いになってしまいます(笑)。

最後の自己分析を許されるならば、僕はきっと、鷺沢さんという「女性」(「作家」ではなく)が好きなのでしょうね(笑)。
おそらくは、鷺沢さんが書くいわゆる「恋愛小説」よりもずっと、鷺沢さん本人が好きなのです。
「私の話」はそのことを僕自身に明確にわからせてくれました。

だからこそ、「私の話」は、「作家・鷺沢萠」の「到達点」なんかではなく、
決してなく、
けしてけしてなく、

「出発点」であり、

そうなりえたものだった。

このあと、ますますすてきな鷺沢さんが見られる契機になったのではないか、と思えてなりません。

鷺沢さんは、たしかに、「私の話」を書くことで主体的に「作家・鷺沢萠」を選び取ったと僕は思います。

僕はもう、「私の話」以前の鷺沢さんの小説を読まないと思います。

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